🌸桜🌸です。
今回は、「怒る」と「叱る」について、書いていきたいと思います。
怒ると叱ることって別のことなのですか?
はい。全く違います。
怒るは親が感情的に向き合うこと、叱るは客観的な視点を持って子供をどこに導くかを定めて向き合うことです。
梅子さんのように重度発達障害の場合、相手の話し言葉が分からず、上手く説明できない上に、非常に難しい対応を求められます。
理解不能の子供の問題行動に対して、どのように向き合うのか…迷いしかありませんでした。
そんな中、J子先生から「怒るのではなく、叱りなさい。」とアドバイスを頂きました。
私は、最初、「怒る」と「叱る」は、同義語だと思っていましたので、J子先生の言葉の意味が理解できませんでした。
後からJ子先生に「怒る」とは、感情に任せて子供にぶつける事、「叱る」とは、感情的にならず、冷静な状態で子供を導いていく事とご説明を頂きました。
そのとき、私が今まで梅子さんと向き合うとき、「怒る」という状態だったと気づきました。
だから上手く梅子さんを導けなかったのだと梅子さんが小学校5年の時に気づきました。
「怒る」と「叱る」の違いをはっきり意識し出してからは、梅子さんに、してはいけない行動などが少しずつ伝えられるようになってきました。
梅子さんも私の叱っている内容が分かれば、続いていた問題行動もピタリと止むようになりました。
発達障害児は、「聞き分け」は出来ませんが、工夫と向き合い方次第で、伝わった時にはきちんと約束は守ってくれるのが分かりました。
怒るとは
子供に「怒る」ときは、感情的になっているということなのですか?
はい。
「怒る」とは、自分の中に湧いてきた感情的思いを相手にぶつける事です。
感情的に怒ったことは子供に伝わらず、同じ問題行動だけ繰り返されます。
八つ当たりもその部類に当たるのかも知れません。
例えば、梅子さんが問題行動を起こした場合、私が問題行動をしている梅子さんにイライラして、「何してるの!だめ!」と強い口調で激しく伝える事だと思います。
そういう言葉に対して、梅子さんは、一瞬、ビクッとしてやめますが、しばらくするとまた同じ行動をします。
何度、同じことを注意をしても梅子さんは、問題行動を繰り返し、私のイライラがMAXに達し、結局、私の怒り爆発という形で終わってしまいます。
子供に対して、大声で罵り、子供の人格を否定するだけで何の解決にも至らない…それが「怒る」という行為なのだと思います。
特に梅子さんは、日本語がまるでインプットできない上にアウトプットもできないので、問題行動は仕方のないことと梅子さんに諦めの気持ちを抱きがちになります。
結果、怒っても何の解決にも至らない…ということを思いました。
- 「怒る」は、感情的に怒鳴るだけ。
- 子供の立場からは、何を咎められているのか分からず、理解できない。
- 咎められている事は分かったとしても、正しい振る舞い方が全く分からない。
叱るとは
子供を叱るということは、どういう思いで叱るのでしょうか?
「叱る」は、私が感情的にならずに子供の問題行動の裏側にある思いなどを考えた上で、してはいけない事を伝えます。
感情的ではないとはいえ、問題行動に対し、ダメだ!と伝えます。
そして、梅子さんには、一旦、約束をした上で、同じことをしたら、損をしてもらうようにしています。
梅子さんにとっての「損」というのは、本の書き写しです。
書字困難を極めた梅子さんがようやく文字を書けるようになり、その文字を使って、少しずつ私や他の人と意思疎通が取れるようになりました。
文字を書き続けることで梅子さんは、次第に観念し、私が譲らないことを知ります。
本を書き終わるまでは、私もそばについています。
その間、してはいけない事を絵や文字で伝え、本当は、どのように振舞えばよかったのかを絵や文字を通して一緒に伝えていきます。
梅子さんは、もう損をしたくないので、本を書き終わってからは、必ず同じ過ちを繰り返す事がありませんでした。
J子先生曰く「人は、善悪では、動きません。損得で動きます。」といつも教えてくださいました。
梅子さんは、本を書き写し、「損する」事を体感し、私の言葉に重きをおけるようになっていきました。
問題行動を自分で制御できた梅子さんを大いに褒めて、「すごい!」とか「素晴らしい!」と大袈裟なくらいに褒めてあげる事で、梅子さんは、自尊心がいっそう高まり、問題行動を超えていく事が出来ました。
損する経験を通して、私の言葉に重みが出てきて、梅子さんが新たな問題行動を起こすたび、私が「叱る」ことと、損をしてもらう事、何がダメでどうすれば良かったのかを伝えることで、梅子さんに指示が通るようになってきました。
「叱る」言葉には、子供に親の言葉の重みを持たせる事が狙いです。
「怒る」事で子供を痛めつけ、問題行動を抑えようとするのが目的ではありません。
親の叱る言葉に重みを持たせて、子供が社会の中で生きていけるようにする事が本当の目的です。
- 叱るときは、客観的な視点を持つ
- 叱る先には、どこに子供を導きたいか明確にする。
- 何がいけなかったのか、どうすれば良かったのかを伝える
- 子供が約束を守れなかったとき、損をしてもらう
- 子供は、善悪の道徳で動かない
- 子供は、損得で行動を決める
- 親の言葉に重みを持たせるため子供には、損をしてもらう
- 子供が問題行動を起こさず、指示に従えば努力したことを認める
叱るために意識する事
梅子さんを叱るたび、意識している事がありますか?
感情的にならないことを心がけています。
- 私の気持ちが「怒る」に変換しないようにする事。
- 叱った後、正しい振る舞い方を絵や文字で伝える。
- 課題学習を設定し、教える。
私は、大きな声を出す時つい感情的になりがちなので、「怒る」に変化しないように意識しなければいけません。
叱りながら、梅子さんではなく、私自身の内面を見つめながら叱るようにしています。
叱った後、その問題行動の意味を考えます。
梅子さんは、問題行動の向こうに必ず、梅子さんの思いが隠れています。
例えば、
- 人と関わりたい気持ち
- 勘違いした思い
- 良いと思っていたのに間違えて覚えてしまった事
- 分からなくて困っていたこと
梅子さんの思い(背景)を梅子さんの立場や問題行動を起こすやりとり前後の様子から考えていきます
本来、問題行動をするのではなく、その時に適した言葉や行動を教えることに注力します。
適切な行動が振る舞えるように、課題学習としてまず机上で教え、その後、現場で出来るように教えるという方法を取りました。
このように正しい行動ができるようにいくつもステップを踏み、教えていく事で、梅子さんのようなコミュニケーションが全く出来ない子供でも適切な行動が取れるのだと思いました。
- 親が感情的にならないこと
- 問題行動を起こす前後に起こった子供の様子を観察し子供の思い(背景)を考える
- 机上で問題のある行動と正しい振る舞いを絵カードなど子供に分かりやすい形で伝える
愛について
子供を叱るとなんでも上手くいくのですか?
いえ。叱るだけでなく、子供と向き合うとき、そこに愛があるかどうかが重要になってきます。
「叱る」行為に「愛」はあるのでしょうか?
場合によっては、私に心の余裕がないとき「叱る」が「怒る」に変化してしまう可能性もありました。
梅子さんのような発達障害のある人に向けて叱る時、1つだけ頭の中で考える事があります。
今、この子をどこに導こうとしているのか?…という事です。
怒るときは、ただ怒りをぶつけるだけなのですが、「叱る」時は、必ず、少し先の未来を見据えています。
梅子さんの現在起こしている問題行動を消滅させて、社会の中で受け入れられる行動へと、どのようにして変えていけるのかを考えながら叱るように気を付けています。
着地点をしっかり自分の中で作り上げながら、梅子さんを叱り、本当は、どうすればいいのかを伝え、正しい振る舞い方が出来るようにして、また社会に送り出そう…と考えています。
その中に「愛」がなければ、上手く伝わらないのではとも思います。
梅子さんは、重度発達障害者ですが、その前に人間です。
心のある人間です。
ロボットでもAIでもありません。
叱るにしても、導くにしても、そこに「愛」が必要だと思います。
目には見えませんが、「愛」というエネルギーを注ぎながら伝える事で、梅子さんを傷つけずに、自尊心を高めながら教え導いていけるのだと思います。
叱るにしても「愛がなければ、虚しい」
療育者が愛を持って向き合い、子供に伝え教え問題行動を超えていった時、発達障害者の心の中は、確実に育っていきます。
方法論だけで終わらないように…自戒を込めて。
- 叱るときも心を込めて叱る
- 方法論だけでは、子供に伝わりづらい。
- 愛がなければ虚しいだけに終わる
では!🌸桜🌸