🌸桜🌸です。
子供が発達障害と診断を受けました。
どうしても認めたくない気持ちです。
私も梅子さんが重度発達障害と診断を受けた時、認めたくない気持ちでした。
しかし、時間が経過するたびに子供の発達の遅れと問題行動が頻発に起こるようになりました。
認める、認めない以前に障害を受け入れざる得ない状況になっていきました。
梅子さんの障害がはっきりしてきたのは、3歳でした。
既に言葉の遅れや目線が合わない、指差ししないなど症状は出ていました。
当時の児童相談所を経て、小児精神科の先生の診断を受けました。
診断の結果、重度自閉症という障害名がつきました。
我が子が障害児と分かった時から今まで、どのように梅子さんを受け入れてきたのかを書きたいと思います。
重度自閉症と知って(梅子さん3歳)
梅子さんが発達障害と診断された日の事を覚えていますか?
はい。
覚えています。
帰りの車内は、絶望と哀しみにくれていました。
ある方は、我が子に診断名がついた日のことを「健常児と思っていた我が子のお葬式の日」と表現された方もいました。私もその表現に近い心境でした。
しかし、人よって受け止め方が全然違うんですよね。
ある方は「障害が分かってホッとした」と思った方もおられたようです。
それまで周りから散々「躾ができてない!」と責められていたので、自分の躾のせいではないという思いから解放されたのだと思います。
またある方は、「そうか…」と思っただけだということをおっしゃられた方もいました。
かわいい我が子であるには違いないから…と人間的にできたことを発言された方もおいでました。
私は、絶望に沈んだ人間でしたので、逆に人間的にできた方を見て、羨ましくもあり、余計にダメな自分を思って落ち込んでいくばかりでした。
帰宅後は、部屋に引きこもって大泣きするばかりの自分がいました。
絶望と鬱(梅子さん3歳〜10歳)
診断を受けてから、どのように過ごされていましたか?
全くコミュニケーションもとれない梅子さんを前に暗く落ち込む生活をしていました。
何もしたくない。
子供も見たくない。
そんな後ろ向きなことしか考えられなくなりました。
幼児期は、発達の激しい時期でもあり、他のお子さんと比べがちになりやすい時期でもあります。
健常児と発達障害児なら既にスタートラインが違いすぎるし、同じ発達障害児同士でも軽度や重度で比べがちになりますよね。
他のお子さんと比べてしまう時期でもあり、すごく苦しくなり辛い時期でもありました。
他の子供との比較に自分で自分を苦しめていた時期でもありました。
次第に鬱になっていき、家の用事もできなくなり、母の手を借りるようになってしまったこともありました。
親として1番危ない時期でもあり、1番辛く苦しい時期だったと思います。
当時、ニュースなどで発達障害のお子さん絡みで親子心中などもあり、共感の気持ちが強くありました。
1歩間違えたら、我が子に手をかけてしまいそうになる…そんな保護者の方もいらっしゃいます。
私も正直、危なかったと思います。
そんな中、私の救いとなったのは「教育」でした。
※このブログでは「療育」と表示していますが、「教育」のことを指し示しています。
教育と希望(梅子さん7歳〜11歳)
「教育」が救いだとおっしゃってますが、どう「救い」となったのでしょうか?
発達障害という目には見えなくて、得体の知れない障害者を社会に適応できるように成功した人がいると知って希望を持てました。
育てづらく、反社会的行為しか振る舞えない梅子さんに希望をもたらせてくれたのが「梅子さんの幼少期編 3」に書いたJ子先生との出会いでした。
J子先生の具体的な子育てに関しては、「精神科医の子育て論」に書いています。
私がJ子先生に教えて欲しいと願ったのは、3つ理由がありました。
- J子先生が発達障害者の親であること
- お子さんが発達障害者でありながら上手く社会に適応し育っていたこと
- J子先生自身が信頼できる小児科の医師であること
育てづらく、生活しづらい発達障害の子供に何を教え、何を学ばせたらいいのか分からないのは、暗闇の中で孤立している感じでした。
その子供とするべきことがあるというのは、すごく大変ですが、一筋の光が見えて、希望の持てる生活ができました。
梅子さんが幼稚園の頃や小学校低学年の頃は、毎日、梅子さんと勉強しても梅子さんは、特別ガラッと変わる訳ではありませんでした。
特に梅子さんが重度という理由もあるのかと思うのですが、途中、挫折しかけたことも度々ありました。
梅子さんが支援学校から帰ってきてから2人で勉強していたら、外から地域の小学校に通っているお子さんたちの声がします。
自転車でお友達同士遊んでいる声などがすると、非常に辛くなってきました。
「どうしてこんな想いをしなければいけないのだろうか…」と悲しくなってしまうことも度々ありました。
梅子さんに障害がなければ、今頃、梅子さんも外でお友達と自転車に乗って遊んでいるのではないか?などと考えてしまいました。
「たられば」を考えても仕方がないとは分かっていながら、つい頭の中をよぎってしまうことも何度もありました。
早朝マラソンで指示がよく通るようになり、4年の歳月をかけて時計を読めたことで苦手なカラクリ時計を克服し、家の手伝いができるようになってきました。
社会の中で生きていくために必要な知識が梅子さんの中で育ってくれたことで、気づけば「梅子さんに障害さえなければ…」という思いが少しずつ私の中から消えていました。
他者ともあまり比べることなく、教えたいことだけに私がフォーカスできるまでになってきました。
教育が梅子さんを救い、私も一緒に救ってくれたのだと思います。
現在の梅子さんとの生活
今は、梅子さんは通所施設に通っています。
成人になっても、梅子さんと同じ年の健常者を見ても、何も思わなくなりました。🤣
障害を受け止めるというのは、本当に、人それぞれですが、もし、「今は辛い!子供の障害を受け入れられない」と考えている方は、時間をかけて少しずつ受け入れていくことが出来るので、焦る事なく、今すべきことに注力して、子育てをしてみてはいかがでしょうか?
鬱になったら、休みながら希望を捨てずに生活して欲しいと思います。
私も鬱の時は、療育などできませんでしたので。
時間をかけてゆっくりと障害を受け入れながら、適切に教えていけば重度発達障害のお子さんでも社会で必要な知識は入るので、希望だけは失わずに過ごして欲しいと思います。
- 我が子に診断名がついても、親によって受け止め方は人それぞれ
- 重度発達障害であっても質の高い教育なら学ぶことができる
- 生きるために必要な力をつけていく過程で次第に子供の障害を受け入れていた
- 発達障害者の教育に成功した人から教えてもらうのが近道
では!🌸桜🌸