🌸桜🌸です。
最近、世界自閉症啓発デーとか発達障害という言葉を耳にすることがあります。
かなり「発達障害」という障害名が認知されてきたように思います。
嬉しいことです。
ただ、名前だけが一人歩きしていることも感じます。
名前以外に、発達障害とはどういう障害か…というところまで知ってもらいたいですね。
最近、発達障害という言葉をよく耳にするようになってきました。
啓発運動が少しずつ浸透してきているんだと思うと、少し嬉しくなります。
しかし、発達障害の子供や共に暮らしている親にとって、生活は、非常に困難を極めます。
名前だけが一人歩きをしないためにも少しでも理解と共感を持っていただけたら嬉しく思います。
では、発達障害って一体、何なのか…
結論から言いますと「認知の障害」です。
認知の障害ゆえに「分かりづらさ」があり、怠けている…とか、人をバカにしているのか!…などの誤解されてしまう障害でもあります。
発達障害の程度の差があっても、自ら学んでいく力が弱く、理解の偏りが激しいのも特徴です。
そのため生活を送るのに、周りから理解されず、困っている方が多いのが現実です。
「発達障害」という名称以外に「分かりづらさ」を抱えていることが少しでも広がっていけばいいなと考えています。
- 発達障害は、「認知の障害」
- 「分かりづらさ」を理解されていないがために、社会から排斥されやすい。
- 分かりづらさの困難をひとり抱えるのではなく、理解と共感のある社会にするため、「認知の障害」ということも含めての啓発が必要。
子供に発達障害があるって、どういう時に気付くのですか?
内容を入力してください。主に1歳半過ぎても、言葉がでない、目線が合わない、指差ししない、社会性が育ちにくい、名前を読んでも振り返らない、親に懐かない、バイバイをしない、もしくは、バイバイをしても手の甲を相手に見せて手を振る、クレーン現象がある、などがあります。
他にもまだたくさんの症状が早いお子さんなら1歳から、大体3歳までには現れてきます。
健常児の成長とは明らかに違う発達を見せてきます。
初めてのお子さんだと、そんな症状があっても気づきにくいのでは?
はい。そのため、1歳児検診や3歳児検診で引っかかるので、お子さんに障害があることがわかると思います。
3歳児検診のときには、発達障害の有無が明らかになってきます。
その時は、速やかに保健婦さんの指示に従って、小児精神科を受診してください。
小児科の先生や内科の先生は、専門外なので、紹介状など書いてもらうのも良いかと思います。
お子さんの障害の理解のためにも早期に行動することをおすすめします。
- 1歳半過ぎても、言葉がでない、目線が合わない、指差ししない、社会性が育ちにくい、名前を読んでも振り返らない、親に懐かない、バイバイをしない、もしくは、バイバイをしても手の甲を相手に見せて手を振る、クレーン現象がある。
- 発達障害がある場合、1歳児検診、3歳児検診で引っかかってくる。
- 発達障害の疑いがある場合、速やかに保健婦さんの指示に従うか、小児科、内科の先生に頼んで小児精神科への紹介状を書いてもらい受診する。
梅子さんの特徴
梅子さんって、幼少期はどんな状態でしたか?
梅子さんの言葉の遅れは、4歳になるまで単語1つ発することがなかったです。
オウム返しもなく、やりとりなど全くできなかった幼少期でした。
現在(23歳)でも、2語分は、ほとんど聞けません。
単語だけ喋る程度です。
幼少期は、目線も合わず、指差しもせず、私の手を掴み、欲しいものを私の手でとってもらおうとする程度で表現していました。
私や主人、家族になつく事もなく、ただ、ぼんやりと過ごしている幼少期でした。
不快なこと、不安な事、自信のない事は、大泣きで表現していて、赤ちゃんの表現法が小学5年まで続きました。
模倣もやったと思えば消失しました。
特に1歳で覚えたバイバイをしなくなり、ようやくやり始めた時には、相手に手の甲を見せてバイバイをしていました。
多動は、大体4歳くらいまで続きました。
幼少期は、とにかく高いところに登りたがっていました。
梅子さんの家でのポジションは、ピアノの上でした。
抱っこが好きで、自分で歩こうとはせず、歩かせようとすると大泣きでした。
おもちゃに興味が全くなく、お玉や柄の長い掃除道具を持って、離そうとはしませんでした。
よくファブリーズや台所洗剤を持ち出しては、ピアノの上に並べて夢中で遊んでいました。
睡眠障害もあり、夜中の2時頃まで起きていてはウロウロするという感じでした。
- 多動
- 睡眠障害
- クレーン現象
- 指差しなし
- 発語なし
- 目線が合わない
- 模倣ができない
- バイバイの消失と復活した時には、相手に手の甲を見せてバイバイする
- 高いところに登りたがる
- 洗剤容器のこだわり
- 柄の長い道具のこだわり
親としての思い
幼少期の梅子さんについて、親としてどうおもいましたか?
本来、一言では言い表しにくいのですが、私の性格では、障害が分かった3歳の時点で絶望しました。
絶望しない親御さんもおられるようなので、逆にそういう方をリスペクトしています。
絶望した理由は、将来、梅子さんは、生きていけないのではないか?という不安でした。
ダメだと分かっても否応なしに健常児の発達と比べてしまうし、絶望と途方にくれていました。
そこで思ったのは、とにかく「教育」という事だけでした。
健常児に近づけよう…とかそういう意味ではなく、生きていくために必要な力をつけさせてやりたい!という思いだけでした。(そこは、23歳になった時点の今でも変わらない思いです)
- 梅子さんに障害があるとわかって絶望する
- 自ら覚えられない梅子さんに教育が必要と認識する。
- 生きていくために必要な力をつけてやりたいと考えた。
どうやって共に生きていくか
梅子さんに教育が必要と思ってからは、どうしたのですか?
全くコミュニケーションが取れない子供にどうやって教育を与えていけばいいのかを模索し始めました。
音楽療法、感覚統合、身辺自立に特化した療育施設に通ってトイレトレーニングをしました。
私が納得できるような教育方法を探していこうと決意した時から、梅子さんと共に生きていく事になったように思います。
しかし、自分の求めている教育方針を掲げた療育現場は県内にありませんでした。
梅子さんがまだ幼少期に出会った講演会の先生の話を聞いて、県外の療育センターに小学校2年生から通うこととなりました。
その時の様子は、「梅子さんの幼少期編 3(講演会)」に書いていますので、よかったらご参考にしてください。
以上、梅子さんに障害があると診断された時の様子を書いてみました。
- 音楽療法や感覚統合、身辺自立に特化した療育センターに通った。
- 私の求めている教育を教えてくれる療育センターに梅子さんが小学校2年から通う。
- 納得のいく教育方針を教えてくれる場所を探すことは重要。
では!🌸桜🌸
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