【福祉】知的障害者の近代歴史について

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🌸桜🌸です。

今回、知的障害者の近代歴史について書いていこうと思います。

どうして知的障害者の歴史を知ろうと思ったのですか?

🌸桜🌸
🌸桜🌸

昔の私は、テイカー気質で、国からの支援サービスは、くれて当たり前だと思っていました。してくれて当然、当たり前の権利だと思っていました。しかし、後から、先輩方か必死の働きかけで勝ち得た権利だったことを知り、反省しました。

今ある福祉の支援サービスって、昔から当たり前にあったわけではありませんでした。

たくさんの先輩保護者の方、専門家の方々、施設関連の方々の行動から長い時間をかけて知的障害者の立場をよくしようと運動してくださったおかげでした。

私は、梅子さんが低学年の年齢になるまで知りませんでした。

私は、そんな血の滲むような努力を知らない事で、教師、福祉関係のサービスの提供をしてくださっている方々はじめ、制度にいたるまで不満を抱いてました。

その事をJ子先生にお話をしたところ、私の考え方や物事の捉え方が「傲慢である」と一蹴されました。

そこから、いくつかの本を紹介してくださって、読み漁った思い出があります。

知らない事は、罪です。

無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり

ソクラテスのこの言葉に尽きると思います。

ほんの少しではありますが、私なりに勉強したことを書いていきたいと思います。

  • 福祉の歴史を知ることで今あるサービスに感謝しよう。
  • 「無知は罪である」福祉の世界にも通用する。
  • 障害ある子供と生きていくためには、人生の本質を知ろう。

日本における先人たちの生き様

ぼくのまんだら

まず先生がご紹介してくださった本は、「ぼくのまんだら」横山佳子著でした。

発達障害児がまだ認知されていなかった1970年代、理解に苦しむ障害者の子育てを丁寧に書いてくださっていました。

世間からもしつけの出来ていない子供という認識のもと、学校さえも通えなかった時代のお話です。

重度発達障害児を抱えて、社会の中で生きていくために電車に乗せたりして、格闘していく親の姿が書かれていました。

電車の練習中、他の乗客に不審な目を向けられ、息子さんが座席に座っている最中、知らぬ間に手に大怪我をさせられたりと辛い経験が書かれていました。

そんな格闘の子育ての先には、大人になっていく我が子の最後は、親元を離れて、仲間のいる施設へと帰っていく姿がいまだに私の頭から離れられません。

今よりもさらに理解のない時代の子育ての軌跡が書かれている本でした。

僕アホやない人間だ

次にすすめてくださったのは、止揚学園の創始者、福井達雨先生の「僕アホやない人間だ」でした。


この本は、牧師だった福井先生が知的障害者のために魂を込めて向き合った貴重な1冊です。

この本を読んで、1970年代の障害者に対する過酷な世界を知りました。

理解のなさによる魂の叫びがしっかり書かれた本だと思います。

ぶどう畑の笑顔

最後は、栃木の足利にあるこころみ学園の川田昇先生著「ぶどう畑の笑顔」です。


1990年に発売された本で、重度から軽度の居場所のない知的障害者と元中学校の教師だった川田先生が教育を通して、人間らしく生きる事とは何かを考えながら障害者と歩んできた軌跡の1冊です。

凍てつくような栃木の急勾配の山を障害者と共に開梱し、葡萄を育て、世界のワイン通を唸らせるワイン作りに至るまでの姿を書いてくださっています。

今でも忘れられない場面は、重度自閉症の男子生徒がパニックになった時、同じ学校の障害のある女生徒を階段から突き落としてしまい、亡くなるという事があったエピソードです。

親も諦めてしまうような男子生徒としっかり向き合い、葡萄畑の過酷な仕事から男子生徒の心を育て、決して諦めてはいけない事を母親に伝えていく川田先生の姿に当時、理解に苦しんでいた梅子さんの療育に希望を持てた事を思い出します。

葡萄畑の笑顔の施設は、ココ・ファーム・ワイナリーとして2008年の北海道洞爺湖サミットや広島で行われた主要7カ国(G7)外相会合など、日本で開かれる重要な国際会議の舞台では、必ずと言っていいほどココ・ファームのワインが振る舞われています。

私も年末年始にココ・ファームからロゼや白ワインを買って、楽しんでいます。笑

  • ぼくのまんだら
  • 僕アホやない人間だ
  • ぶどう畑の笑顔

障害者の歴史を知る上で知っておくべき3冊です。

ぜひ読んでみてください。

親として今の支援サービスとどう向き合うべきか

1970年から1990年代の知的障害の近代歴史を紹介しました。

紹介した本の中には、書かれていなかった事実を1つだけ紹介します。

🌸桜🌸
🌸桜🌸

発達障害は、近代歴史の中では、障害者と認められていませんでした。

発達障害者は、見た目からは障害があると分かりづらい容貌をしています。

その事で、親のしつけが悪い!の一言で片付けられて、社会からも見向きもされませんでした。

もちろん社会的補償など全くなかった時代でした。

療育手帳もなく、特別児童手当も障害者年金さえもなかったという時代があったようです。

学校も就学猶予という制度で行かせてもらえませんでした。

そこを国から勝ち取っていったのは、先輩保護者の方々と支援をしてくださっている方々の並々ならぬご尽力あっての事だと伺いました。

今では、当たり前の福祉サービスですが、当たり前ではないのだという事を今後、発達障害のお子さんを育てていく親御さんに知っていただきたいと思い、今回、このような形で書かせていただきました。

ちなみに、梅子さんの3歳から小学校まで、放課後デイはなかったです。

当時、私よりも少し上の先輩方が声を上げて、国に働きかけて、作り上げていきました。

一致団結して声を上げる大切さを知りました。

今あるサービスは、当たり前ではなく、先人たちに感謝する事を学んだ🌸桜🌸でした。

  • 発達障害者は、見た目で障害があると分からない。
  • 発達障害者は、障害者と認めてもらえない時代が続いた。
  • 就学猶予という制度のせいで学校にも通えなかった。
  • 療育手帳も障害者年金も特別児童手当の支給もされなかった時代があった。
  • 先輩の保護者の方が団結して国に声をあげて、制度を受けられるように働きかけた。

では!🌸桜🌸

成人になった重度発達障害者の梅子さんと一緒に課題学習を通して、心を育てる療育を実践してきた。ヘレンケラーとサリバン先生のような指示の通る関係の構築に尽力してきた。療育は、新居浜にあるトモ二療育センターで9年間勉強。現在、梅子さんは、地元の通所施設で毎日働いている。

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