🌸桜🌸です。
梅子さんが3歳に重度自閉症と診断を受け、その後、身辺自立に特化した療育センターに通える事になってからのお話です、
この時、療育という障害児教育のスタートを切ったとも言える時期です。
と同時に、梅子さんの発達障害の特性が開花していった時期でもありました。
- 多動で座れない
- 高いところに登ろうとする(ピアノの上や机の上)
- クレヨンを持って殴り書きできない
- 絵本を見ない
- トイレがとれない
- お箸が持てない
- 言葉が出ない
- コミュニケーションが全くとれない
- おもちゃで遊べない
- カトラリーやプラスチック容器を好んで並べる
- カラクリ時計が怖くてどこにも外に出られない
- 睡眠障害
- 異食
- 1日大泣き
ざっと思い出すだけでも3歳の子供とは思えないくらい問題が山積みでした。
健常児の3歳児は既に、理屈も言えるし、親の真似をしてある程度、生活が確立しています。
今回は、問題の中でも身辺自立・席に座る・クレヨン・パニックの4つに絞って書いていきたいと思います。
身辺自立への取り組み
梅子さんが最初に通っていた療育センターってどういうことをしていたのですか?
まずは、トイレをとるため、トイレトレーニングをしたり、席に座る練習・絵本を見ること・小集団になれること・遠足などを通じて外に出る練習・1人で食べる練習をしました。
梅子さんが3歳当時、通い出した療育センターは、母子通園をしなければならないところで、朝9時くらいから14時くらいまで付き添いを毎日していました。
そこの療育センターのメインは、身辺自立を軸に生活を組み立てていました。
正直、全く目も合わせず、親の私の言葉も分からず、梅子さんから発する意味不明な音声を出す子供にどのように身辺自立を教えるのか、自信が持てないまま過ごしていたように思います。
梅子さんの障害で思い知らされたのは、人間という生き物は、「コミュニケーション」で成り立っている動物だと分かりました。
コミュニケーション不全の梅子さんに絶望を感じながら、時間を見てトイレに連れていくという定時排尿をしながら過ごしていました。
定時排尿と周りの声掛けのおかげで梅子さんは4歳くらいでトイレに行けるようになりました。
しかし、トイレにいけても、後始末が出来るのは、まだまだ先の事でした。
トイレトレーニングで1つだけ気をつけていた事がありました。
その当時は、まだ発語もオウム返しもなかった梅子さんでしたが、そんな梅子さんにトイレに誘う時は必ず「トイレ」という名詞を告げて行かせていました。
- トイレという名詞を覚えてもらう事
- 発語できるようになったとしたら、「トイレ」と言ってもらえるようにする事
なぜ「トイレ」という名詞にこだわったのですか?
成人した女性が外出先で「おしっこ」というのは、やはりおかしいような気がしたからでした。
23歳の今でもトイレに行く時は「トイレ」と訴えてくれるので、助かっています。
宮本武蔵の五輪書の中の「遠き所を近く見、近き所を遠く見る事」を意識して育てていくのが大切だと思いました。
席に座る事
梅子さんは席に座れなかったというのはどういうことでしょうか?
椅子に座らせようとすると体をそり、声を出して嫌がり、座ろうとはしませんでした。
3歳の子供なら教えなくても座る事ができるのに梅子はできませんでした。
先生が見せてくれる絵本の朗読中、何度も立ち上がり、逃れようとしていた梅子さんを私が後ろから押さえつける形で、椅子に座らせる練習をしました。
押さえつけながら、なぜ梅子さんは、椅子に座る事ができないのか…
健常児のようにどうして絵本に興味を持たないのか…
などなど頭の中を毎回、疑問が駆け巡っていました。
なぜ梅子さんは絵本に興味を持たず、椅子にも座らずにいたのでしょうか?
全ての意味がわかっていなかった…が答えでした。
- 絵本の内容が全く理解できないので興味がなかった
- 座る目的が分からなかった
- いつまで座ればいいのか見通しがつかなかった
- 集団行動に気づいていなかった
わがままで集団の規律を乱していた訳ではなく、本当に意味が全て分からなかっただけでした。
座る練習と共に梅子さんには、絵本の読み聞かせが始まれば、意味が分からなくても座るもの…という事を覚えました。
ただ、絵本を凝視することはあまりなかったように思います。
絵本を見ていたとしても、理解は全くできませんでした。
当時、トモ二療育センターに通っていた頃、J子先生が、「今こそ絵本を読み聞かせる時期が来ました。」と教えてくださって、気付きました。
クレヨンで描く事
梅子さんは、今、お仕事でイラストを描いているようですが、幼少期から描けていたのでしょうか?
梅子さんは、3歳になってもなぐり書きが全く出来ませんでした。
同じ療育センターに通っている他の重度自閉症の子供たちは、大きな画用紙にたくさん、なぐり書きをしていたにもかかわらず、梅子さんは、座ってクレヨンが箱の中に整然と並んだクレヨンを板ずりする動きで感覚を味わっていました。
当時は、感覚遊びをする梅子さんに正直、ガックリ来ていました。
出来ない事があまりにも多すぎる梅子さんに対して、失望していました。
周りの子供と比べても仕方ないとは言え、どうしても目についてしまい絵を描く時間は、落ち込んでいました。
- クレヨンの使い方を知らなかった
- クレヨンを手に握ることさえ知らなかった
- クレヨンを握って画用紙に線を引くことが分からなかった
- クレヨンを使って、頭の中でイメージしたものを描くなど思いもよらなかった
- そもそも「絵」って何?
以上5点ほどの理由から梅子さんがクレヨンをクレヨンとして使えなかった理由です。
ここまで分かりづらいと知ったのは、10年以上先のことでした。
当時の私には、梅子さんの行動が不可解極まりないだけでした。
カラクリ時計によるパニックの出現
梅子さんのパニックはどういうものだったのですか?
梅子さんが初めてパニックになった原因は、カラクリ時計でした。
カラクリ時計を見たら怖がって逃げていました。
梅子さんが療育センターに通い出して、しばらくして玄関に入るのを怖がるようになりました。
療育センターに飾ってある「からくり時計」が原因でした。
大泣きして、なかなか施設に入ろうとせず、大変でした。
カラクリ時計嫌いは、その後、あちらこちらで起こり、どこに連れていくにも、正直困難を極めました。
当時、療育相談という時間を設けてくださった療育センターで、支援学校の若い先生にその旨を伝えると「ストレスになるといけないので、時計のない所に連れていってあげてください。」と言われました。
私は、気持ちに疲れもあってか「時計のないところは、どこですか?」と聞き返しました。
先生は、「そんなところはないですね。」とサラッっと自分の意見をひっくり返していました。
しかし、この時計を怖がる事は、梅子さんの人生が大きく変えていきました。
カラクリ時計を克服すること…
梅子さんを育てていく過程で私と梅子さんのテーマになりました。
今は、アナログ時計もデジタル時計も理解したので、カラクリ時計を怖がることはなくなりました。
当時は、辛かったし、時計のことで大変な思いをたくさんしましたが、大変ということは、大きく変わるチャンスが来ているという合図なので、時計嫌いでなければ、梅子さんはアナログ時計を知る事が一生なかったと思います。
時計の知識を知る事が梅子さんにとって、世界が少し居心地がよくなるきっかけになりました。
時計のことや時計の教え方など、後日、どこかでブログに書いていきたいと思います。
- 身辺自立のトイレは、定時排尿と「トイレ」という声掛けで出来るようになった
- 着席は、全介助の元、小集団の中で絵本の読み聞かせなどを通して次第に覚えていった
- なぐり書きが出来なかったのは、道具の使い方を知らなかったので、手を添えて教えていった
- カラクリ時計を見るたび、大泣きしてパニックになっていたのは、時計の課題で理屈が分かり克服していった
では!🌸桜🌸
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