🌸桜🌸です。
梅子さんの幼少期編3でお話ししたトモニ療育センター所長・河島先生の講演会を聞いて、療育に希望が持てました。
早速、梅子さんと取り組んだのですか?
いえ。
県内のどの療育センターも障害児に算数など教えてくれる所もなく、いたずらに時間だけ過ぎていきました。
私の勘違いが時間の経過とともに梅子さんのあらゆる問題行動を生み出しました。
そんな問題行動に続く道は、幼稚園のころから顕著に出てきました。
幼稚園から始まった梅子さんの変化について書いていきたいと思います。
幼稚園に並行通園
梅子さんは幼稚園に入園されたのですね。
就学のことを考え、療育センターに行きながら並行通園で健常児の通う幼稚園に入園しました。
正直、地元の小学校に通うのか、それとも支援学校に行かせるのか、まだ迷っていました。
幼稚園での様子を見て、そこから決めようと考えていました。
そして、健常児と交流がある事で、何らかの変化が少しでもあればというどこか淡い期待を抱いていました。
幼稚園の生活
梅子さんは、地元の幼稚園に行ったのですか?
いえ。
地元の幼稚園は、障害児の受け入れはできないとのことで、別の地域にある障害児受け入れ可能な幼稚園に行きました。
最初は、療育センターのように、無表情で通っていました。
しかし、次第に、私と離れる事を嫌がるようになり、私と離れてからしばらくは、大泣きして、その後、教室に入っていきました。
療育センターでは、私の存在を気づく前から通っていて、生活もルーチンだったので、梅子さんも困る事もなく、別れ際に泣く事がありませんでした。
なぜ、幼稚園に入園してから梅子さんは、泣くようになったのでしょうか?
いくつか理由がありました。
不安な環境で私と別れるようになって、私の存在が心のよりどころであると気づいたようでした。
しかし、当時は、そのことが分からず、私が預かってもらう先生に申し訳ないな…という気持ちでいっぱいでした。
幼稚園での生活は、離れてからは、これといった問題は起こしませんでしたが、人との関わりは全く取れませんでした。😓
療育センターでの梅子さんと別のように何も出来ない姿に愕然とするばかりでした。
周りが健常児だらけ…ということもあってか、余計に梅子さんの幼さに自分が追い詰められていくのがわかりました。
梅子さんの幼稚園の生活をみてどんな思いでみてましたか?
何も出来ない!という事を押し付けられている気分になり苦しかったことが思い出されます。
他の保護者の方のように子供の成長を素直に喜べませんでした。
というより、成長がみられなかったというのが本音でした。(当時の幼稚園の先生、すみません)
健常児の中でいる梅子をみて、幸せそうに見えませんでした。
集団に馴染めず、一人でいる姿や全く誰とも遊べない姿、そして何より、しゃべれない梅子さんを見ると私の心が追い詰められていきました。
今、思えば当たり前のことなのですが、梅子さんの障害の重さを見誤っていたのだと思います。
では、退園という考えはなかったのでしょうか?
退園にも勇気が持てずにいました。
1年間、卒業するまで通いました。
結果、卒園するまで通いましたが、心の中は、針のむしろでした。
結局、私自身に原因があったな…と思います。
梅子の分かりづらさを理解せずに幼稚園に入れたことが梅子さんを追い詰めてしまったのでは?と思うようになりました。
みんなが並行通園で行っているから自分も入れてみた…は間違いだったと思います。
重度発達障害の子供が幼稚園に入園するには、どうしておいたらよかったと思いますか?
梅子の場合だと発達障害と診断を受けてからすぐに課題学習を始めておけばよかった…が回答になります。
もっと早く療育に取り組んでおけば、違った形で幼稚園生活を迎えられたのに…と今なら分かります。
当時の私も薄々は気づいていたのですが、時間をかけて練習すれば何事もこなしていくのでは?と思うことが多々ありました。
幼稚園に入園するにもいきなりは、難しかったと思います。
- 発達障害と分かってから、すぐに適切な療育に取り組むことが重要
- 幼稚園生活で得られるものがなかった
- 健常児の中でいても交流はなかった
- 私に対する存在を意識するようになった
幼稚園卒園
幼稚園の卒園までの期間、行事ごとってどうでしたか?
ただ座っているだけで楽しむことはなかったですね。
座れるだけでよかったと思うべきでしょうか。
梅子は、幼稚園での集団行動は全く馴染めませんでした。
卒園式も他の園児と行動を共にすることは、出来ませんでした。
友達に手を引っ張ってもらっての卒園式でした。
見ていてハラハラして終わったというのが、卒園式の思い出でした。
重度発達障害児とって集団行動ができないのは、当然だと思います。
- 集団で行動することに気づいていない
- みんなと同じ行動する意味が分からない
- 指示に従えない
- 練習量が足りない
幼稚園生活の経験から梅子さんに教育を与えるのは他人ではなく自分ではないのだろうか…という思いが次第に湧きました。
しかし、教え方や向き合い方などが分かりませんでした。
結果、その2年後に療育センターに入会し、療育を学びました。
当時の私は、梅子の分かりづらさを見抜く事が出来ませんでした。
健常児の子供が簡単に出来る事や学習について、梅子さんは4年でマスターするというのがその後、定番となりました。
ほぼ毎日、練習して4年…それが梅子さんの障害を知る上で重要な所でした。
分かりづらさによる認知障害で4年は必要…このことからも梅子さんが重度だと証明されました。
以上のことからも梅子さんが幼稚園生活を楽しめなかった理由が後になって分かりました。
子供のことを正しく理解すること…そのためには私自身が適切な療育を学び梅子さんに与えることが未来へとつながってきたのだと思いました。
- 子供の分かりづらさを認識せずに周りにのまれて幼稚園に入園させた
- 重度発達障害児は、集団行動をするとも考えていない
- 他者の指示に従った経験がないので集団行動は難しかった
- 行事をこなすためには圧倒的な練習量が必要
では!🌸桜🌸
ヘレンケラーとサリバン先生のような指示の通る関係の構築に尽力してきた。
療育は、新居浜にあるトモ二療育センターで9年間勉強。
現在、梅子さんは、地元の通所施設で毎日働いている。
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