梅子さんの幼少期編 5(進路・思う事)

梅子さんの幼少期編

🌸桜🌸です。

梅子さんが小学校に上がる時の進路の決め方について書いてみたいと思います。

梅子さんの進路をどうやって決めていたのですか?

🌸桜🌸
🌸桜🌸

当時、梅子の進路について自分の中で明確な基準がなく、とりあえず地元にいくのが流行りだから…という理由で地元の小学校を選択していました。

いい加減な気持ちで梅子さんと一緒に暮らすだけの必死な毎日でした。
進路のことまで深く考える余裕がなかったのが正直なところです。
それでも月日は経過していき、梅子さんの進路を決めなければいけない日が近づいてきました。

 

進路の決め方

幼児期が終わると障害児にはどういう進路があるのでしょうか?

🌸桜🌸
🌸桜🌸

1つは、地元の小学校
2つ目は、支援学校です。

幼児期が終わると、就学は、地域の小学校か支援学校の2コースの選択肢になるかと思います。
地元の小学校でも普通クラスか支援クラスかに進路が分かれます。

正直、発達障害児の進路の決め方は、子供や親によって様々で結局、正解がないのが正直な話です。

親の性格、子供の性格と症状、そして、環境などが大きく影響されてきます。

梅子さんの時代は、流行?という事もあったのか、主流は、地域の小学校に入学(今でもかと思いますが…)の流れでした。

進路を決める前にも教育委員会の方との面接とか色々あったように思います。(そこの記憶、ふわふわです。笑)

梅子さんの場合、必ずハンコを押すように「支援学校が妥当」と言われていました。笑

それでも、私の周りの保護者の方は、「地域の中で生きる」を目指して、健常児との関わりを大切に!と謳い、地域の小学校に入学されていました。

それでは、梅子さんは地元の小学校に行かれたのですか?

🌸桜🌸
🌸桜🌸

地元の小学校から「入学の許可」というものをいただいていました。
ドタキャンでやめました。笑

入学許可のお電話をいただいた時、丁重にお断りしたのです。

断った理由は何だったのですか?

🌸桜🌸
🌸桜🌸

私が梅子さんを理解し、サポートできる気がしなかったからです。

今もその判断に正誤は、付けられないと思っています。

結論から申し上げますと、23歳の今現在も普通に通所施設に行って、夕方家に帰って、当たり前のように暮らしています。

もちろん、地域の成人式は出ませんでした。

知り合いもいなければ、成人式のお手前もさっぱり分からない梅子さん。

かわりに通所施設の成人式に参加して、お祝いしてもらい、しっかり某新聞紙に写真まで掲載され、知り合いの薬剤師さんに見つかりました。笑

当時の私は、梅子さんが学校とトラブルになった時、彼女を理解し、サポートしてやれるだけの知識と乗り越えられる知恵がない事で断念しました。

要は、私の問題であり、まだ梅子さんの事がしっかり育ててやれるまでの技量がなかったので、地域の小学校は、やめた…と決めました。

私のような人間が地域の小学校に通っていたら、他力本願の教育論を論じるだけの親になっていたのかも知れません。

地元の小学校を断って支援学校を選んだのですね。

🌸桜🌸
🌸桜🌸

はい。
小学校入学を断ったと同時に、腹を括ったのも事実です。
私が育てよう!
そう決めた瞬間でした。

支援学校に入学しても、先生方におんぶに抱っこする事なく、適正な教育を求めて、育てていくのに集中できそうだったからです。
それが、私の決めた梅子さんとの進路でした。

自分で育てると決めたのも講演会を聞いて以降に考えた結論でした。

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振り返って思う事

結論から申しますと、支援学校に入学したからといって、地域の中では生きられないという事はないです。

そこは、はっきり申し上げておきます。

普通に地域の美容院行って可愛がってもらったりしてる梅子さんです。
通所施設の帰りでも挨拶してくれる方もいらっしゃるし、特別、排斥を受ける事もなく、当たり前に暮らしております。

梅子さんは、正直、違う意味でちょっとした有名人であったかも知れません。
自然と地域の方から、あそこで梅子さんをみた!とか、ここで梅子さんをみた!とかの目撃証言をいただくことが増えるようになりました。

梅子さん、小学校から朝6時から早朝マラソンをしておりました。
見知った顔の地域の方が増えていった…というのが本当の所です。

障害があって、喋れない子供なんです!とは周りに話した事もないのですが、難語が非常に多かった梅子さんをみたら、「ああ、障害のある子ね…」と分かるので、ある程度、察してくださる方が多かったように思います。
そんな梅子さんに声をかけてくれる方もちらほらいて、ありがたかったです。

小学校に入ってからの目標について

自分で育てる!と決めてからは、どのように過ごしたのでしょうか?

🌸桜🌸
🌸桜🌸

まずは、きちんと自分が学びたいと思う先生のところに行って勉強しながら梅子を育てました。

自分で育てたい!と強く願っても、正直、どう育てていいのか分かりませんでした。
発達障害の正体がわからないので育てようがない…という所でした。

無知は罪である
知識ある愛

無知なるままで梅子さんに向き合うのは、レベル1で装備もなく、いきなりラスボスと戦うのと同じでした。
そのためには私には知識が必要でした。
とは言え、たくさんの専門用語を知って知識を得たとしても、そこに愛がなければ梅子さんの行動や知識に反映されませんでした。
梅子さんを変えるのではなく、まずは自分から変わっていくことが療育の第一歩だと思います。

梅子さんが小学校2年になって、療育センターに入会してその後9年間、療育に打ち込みました。

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どう取り組んでいいのかが分かりませんでしたので、療育センターで月1回梅子さんのセッションを行ってもらい、具体的な取り組みを教えてもらいながら小学校時代を過ごしました。
自分の手で育てていく覚悟ができてはいても揺れる時も多かった私です。
それでも、希望を持って梅子さんに教えたいこと、伝えたいことを毎日、教え続けてきました。
具体的取り組みと療育における心構えなどを学びながら家庭療育をして過ごした学生時代の梅子さんでした。

次回、梅子さんの小学校時代の様子を書いていきたいと思います。

では!🌸桜🌸

成人になった重度発達障害者の梅子さんと一緒に課題学習を通して、心を育てる療育を実践してきた。ヘレンケラーとサリバン先生のような指示の通る関係の構築に尽力してきた。療育は、新居浜にあるトモ二療育センターで9年間勉強。現在、梅子さんは、地元の通所施設で毎日働いている。

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